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ホワイトゴスペルとブラックゴスペル 

ゴスペルのワークショップの合間で「スピリチュアルタイム」というのがあり、
牧師さんがいろんなお話しをしてくれるので、それをシェアしますね。

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ゴスペルにはブラックとホワイトがあります。

ホワイトゴスペルは、教会の礼拝などで歌われる「コンテンポラリー・クリスチャン・ミュージック」のこと。
一方、ブラックゴスペルは、アフリカの音楽と、奴隷としてアメリカ大陸にきて教えられたキリスト教の信仰がくっついてミックスされたものだそうです。


黒人の方々にとって辛かった奴隷生活で、なぜ白人の神様であるキリストを信じたのか・・
それは、やはり白人が説いていたけれども、その神様がホントに素晴らしかったから。
その神様は天地を創造し、宇宙、地球を、そして人、命を創られた方であり、
人間に上下なく、差別をしない。
その上、自分たちと同じように苦しみを体験した方。
病を負い、苦しみを負い、人々から裏切られ、十字架にかかった方。
このならば、自分たちの苦しみを分かってくれるという気持ちがあったのではないでしょうか。

十字架に架かったことの意味は、
全ての人の悪意、穢れた心、憎しみ、妬みなど一切を引き受けてくれたということ。

私たちはそれぞれ、自分の心の中にどうしようもなく汚くて
言うことを聞かない思いがある。
本当はもっと正しく生きたい、もっと真実に清く生きたい。
だけど、そう生きることができない。。
そういう思いの中で、キリストを信じたときに、
あなたのところに来て清めてくれますよ、、という教え。

どんなに苦しく辛いときでも、
自分が人ととして道を外さないように助けてくれる方がいる。
自分が失望して人生を投げ出さないように守ってくれる方がいる。
この奴隷生活の中で、人間としての誇りを失ってしまわないように
自分を守る方がいるということを信じていたのだと思います。

『ゴスペルを歌う』ということは、すごく大きなことだと思います。

私たちは、いま、奴隷じゃないけど、
辛い出来事で失望したり、心の内側で悩んだり、
人の嫌な思いで傷ついたりすることがたくさんあります。

でも、救いがある、救い主がいるということを信じて、
元気になることができる。

そういう風に思います。

ゴスペルを歌うことを通して、感謝の恵みを受取りながら、
『どんなことがあっても、どんなに苦しくても救いはあるから大丈夫なんだ!』
と力強く生きていこうと思っていただければ幸いです。

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以上、ゴスペルワークショップを主催している教会の牧師さんのお話のシェアでした。

このように、ゴスペルが生まれた経緯や背景を知ると
歌うときに、歌詞や音楽に気持ちが込められていくのが分かります。

この身体を使って歌うことが、自分自身の喜びであり、
その喜びを神様とともに、引いては「ハイアーセルフ」と共に
味わうというような感覚で、うっとりしてしまいます。

これまでの経験の中では『祈り』とほぼ同じか、とても近い感覚かな。
何より、自分自身を勇気付け、生きていることを実感することができる。

ゴスペルに魅せられた人は、
『神と繋がることが喜び』だと感じられることができる人だと思います。

ゴスペルの語源 

些細な一歩のひとつはゴスペル♪
歌っていると生きている実感が強くなってきて
楽しくなってきます。

とっても自由で開放的な教会が運営するクワイアで、
誰でも参加できるし、牧師さんも自然体で気さくな方。

ライブイベントやクリスマスコンサートがあるので、
講師を招いてワークショップも有り、熱心に指導して下さいます。

ということで、今日は「ゴスペル」の語源を聞いたので紹介してみますね♪

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ゴスペルという言葉は、もともと新約聖書から来ていて
ギリシャ語でユーアンゲリオンというそうです。

古代ギリシャの詩人「ホメロス」が書いた詩の中に出てくるのだそうです。

戦いに勝った知らせを持ってきた人に捧げる報酬のこと、
あるいは、神様に捧げる供物のことを「ユーアンゲリオン」と言っていた。

その後時代の変化とともに、良い知らせを持ってきた人のこと、
もしくは良い知らせそのものを「ゴスペル」と呼ぶようになり、
今の時代は「良い知らせ」そのものをゴスペルと呼んでいるのだそうです。

一言で言えば「救いがある」「救い主(キリスト)がいる」。
日本語では「福音」。

また、新約聖書から見ると、
「福音」と「キリスト」という言葉が同格に使われてりいるところがあって
「良い知らせ」=「ゴスペル」=「キリスト」ともみれるとのこと。

希望の無い真っ暗な世界にいながら、
明日生きる力もないという人々にとっても、
「救いはある」「救い主がいるんだ」ということは、
大きなこと(良い知らせ)だった。

そういう意味を持っているんだそうです。

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以上、牧師さんからお聞きしたお話でした。

些細な一歩から 

目の前の事から、一歩、また一歩と心のままに歩みだしています。

内面への問いかけは、
気になることをとことん(と言っても疲れたらやめますけど^^;)続けます。

その後は、起こってきた出来事や、来た流れに対して
私自身の気持ちや、状況をきちんと表現するように意識しています。

日常の些細なことの連続ですが、これが結構大切なんです。

たとえば、メニューを見たときに、
パッと目に付いたものをオーダーしてみたり、

ずーっと気になっていたけれど、
理由がないから行かなかったところに足を運んでみたり、

習慣化していることは、
方法や取り入れるものを変えてみたりしています。

いつもと違うパターンを取り入れるところから始めると、
スイッチの切り替えが比較的早く、簡単に感じることが分かりました。

小さなことの繰返しで、慣れてくるみたいです。

慣れてくると、変化モード(いつもと違うことをする)が
習慣になってきて、違和感や不自然な感覚がなくなっていくのかもしれません。

しばらく、この小さな歩みを少し見守ろうと思います。

お説教 

最近の傾向として、他者に対して
『お説教』っぽい内容を話していることが増えました。

相手が相談者だったり、明らかに助けを求めている場合は
キツイくらいの口調と内容で突き放します。

「いつまでも甘えてないで、自分の足で歩きなさい」
「また逃げるの? いつまで逃げきるつもり?!」

などなど(^^:)

他者に対して言いながら、
自分自身に対しても言っているのだと分かってもいます。

それでも、強い口調で力強く言い切っています!!

すると、言うたびに私自身も強くなっていくのが分かります。

言葉の力なんでしょうかねぇ。

周囲にお説教が必要な人を引き寄せて、
自分を自身で育てているような・・

他者に対してあれこれ言うのは結構キツイんですけど。
これも私が創造した世界なんですよね。

やはり、私自身の一歩が大事なんですね。
そうすれば、お説教は必要なくなるでしょうね(^^:)

眠り姫 

会社の同僚と会話していると面白いことがいっぱいあります。

あるとき、

これまでの人生で、とても悲しかったこと(辛かった)
逆に、飛び上がりたいくらい嬉しかったことを聞いてみたら、

悲しかったことは、友人が死んだことで、
飛び上がるほど嬉しかったことは・・思い当たらない。

じゃ、生きていることを実感したり、感動したことはどうかと聞くと、

映画見たり、本読んで感動したことはあるけど
生きてる実感って、あんまり考えたことないのでよく分からないらしい。。

そこで、

「じゃ、ボーっと生きているって感じなのかなぁ??」

と聞くと、

「あー言われてみればそうですね。。
ずーっと眠っている『眠り姫』みたいな感覚かも・・」

私もある意味同じような状態かもしれないなぁー。。
と思いながら聞いてました(^^;)

でも、私は少なくとも、絶望的な苦しみや悲しみも、
飛び上がるほどの喜びも実感したことがあります。

親元から自立したのが早かったので、
単純に人生経験が多いというだけですけどね。


彼女達のように、恵まれすぎた環境に慣れていると、
自分が眠っているのか、感じられないのも当然だと思います。

何かのきっかけで刺激を受けて、「自分は眠っている」と意識したのなら、
そこからは、自分の意思と責任で親元から離れたり、新しいことを始めたり、
仕事や生活環境をを変えていくことによって、
それまでの自分が眠っていたことを明確に実感することになるでしょう。

人生って、成長していくって、これの繰返しなんですよね。

私自身、何度も何度も繰り返してきたことですが、
『眠り姫』という言葉に反応して刺激を受けました〜(笑)

長い眠りから目覚めつつあるのかも・・
とにかく、目の前のちょっとしたことから新たな一歩を踏み出そうと思います。

奨学金 

奨学金滞納の状況をニュースで知りました。

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大学生の約3割に奨学金を貸している日本学生支援機構が、
信用情報機関に滞納者情報を通報する滞納防止策に乗り出す。
通報されると対象者は、銀行ローンを組めなくなったり、
クレジットカードを作りづらくなったりする可能性がある。

asahi.com 記事より一部抜粋↓
http://www.asahi.com/national/update/1009/TKY200810090310.html?ref=rss
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2007年は、学部生の約3人に1人が奨学金を得ているんですって〜。
私自身、奨学生でしたが、当時は奨学生ってもっと少なかったと思います。

奨学生=苦学生   

というイメージが定着していて、かく言う私も苦学生の1人でした(^^)
奨学金は学費にあてて、生活費はバイトで工面していましたね。

結構稼げましたから、人一倍遊びながら恋愛もして、親友もできて・・

「奨学金のおかげで大学に行くことが出来たし、卒業もできた。」
という感謝の気持ちみたいなものがいつもありました。

もちろん、卒業後は毎月コツコツと返済し続け完済しましたよ。

だって、そのお金(奨学金)が無かったら、いまの私はいなかったし、
今の私がいるのは、奨学金を得たからなのですから・・

当時と違って、今は気軽に奨学金を得ることができるみたいですし、
借りる覚悟というか、借金するという意識が薄いのかもしれませんね。

貸す方も借りる方も、どういう意識(意図)でその行為を行うのか?!

この部分の認識を根本的に変えていく必要がありそうな気がしています。

もう一歩 

『つまんなぁーい』と感じることが増えました。

社会復帰して半年を越えて一段落ついたことですし。。

穏やかで、居心地の良い安定した日々という基盤から、
もう一歩踏み出してみようという気持ちになったみたいです。

引き寄せている現実は「相談にのること」。
これは相変わらず、いろんな形で続いています。

唯一、精いっぱい自分を差出し『生きている』という実感を伴う時間でもあります。

これまでの紆余曲折もあって、すっかり自分の価値を見失い、
人と関わることさえも、慎重にしてきたこの十数ヶ月。。

自分の中の自然の芽を大事に育てていきたいということに執着し、
アクションに出ることを避けてきたことにも気づきました(汗)

近いうちに、カウンセリングとヒーリングのセッションを開始し、
『いま』の私を最大限に活かせることを、ひとつひとつ形にしていきます。

BIGOのパン 

パン好きな私の最近のお気に入りはBIGOのパンです♪
ちょこちょこ足を運んでは、デニッシュや、バゲットを買っては楽しんでます。

本格的なフランスパンをはじめて日本に紹介したのが、
いまも芦屋でパン屋「ビゴの店」を営むフィリップ・ビゴさんだそうですよ〜。

中でもお気に入りは、やはり『バゲット(細長いタイプ)』ですね。
超本格的で、皮がパリパリですぅーー。

カフェオレや、ミルクティーと一緒にいただけば軽いおやつに、
また、サラダやいろんな具材と一緒に食事としていただいたりしています。

あと、パン・ド・せーグルという薄スライスしたライ麦入りパンも香ばしくて大好き☆

デニッシュ系なら、『ダノワーズ・バナナ』や、名前忘れたけどナッツ三昧のタルトがあって、
そのナッツの組み合わせとタルト生地の絶妙なハーモニーもGoodです。

カフェが併設されている店舗では、ランチもいただけます。

BIGOの直営店は芦屋だそうで、機会があればぜひ行って見たいな〜。

「いま」を生きる 

現実世界と内面の世界の関係を自覚しはじめたと同時に、
「いま」にフォーカスするようにもなってきた。

「いま」と言っているこの瞬間が過去になっていくことが、
とてもリアルに感じられるようになるからかも知れません。

「いま」という瞬間が永遠に続いていくだけなんですねぇ。

「過去のいま」の延長線上に「いま」があって、
「いま」の延長線上に未来があるってことですね。


考えても、考えても未来のことはよく分からない。
というか、イメージできない。したくない。

これも当然といえば当然。

過去の体験を繰り返すなら、考えればイメージできますけど、
もう繰り返すのはうんざりです。。

いま分かっていることは、自分は可能性に満ち溢れ、
無限であるという事実。

いつでも、どんな風にでも変化していけるという確信。

これまでもそうだったし、これからも何も変わらない。

ただ心のままに「いま」を生きるだけ。

そういうことだったのか・・ 

「相談にのることが続発したという現実」

イコール、

「私が創造したものだった」

というのは、一体どういうことなのか??

振り返って整理してみたら、
「なんだそういうことだったのか。。」と唖然としてしまった。。

『私は相手の真実の代弁者である』

と同時に、

『相手も私の真実の代弁者である』 

ということだったのでした。

相談を受けている時は、全力なのでそんなこと考えもしなかったけれど、
相手は自分を映す鏡という視点から考えてみたら当たり前のことでした。

私が私に伝えたい言葉を他者を介して伝えているという事実。
話しているのは、紛れもなく私自身です。

どんなに見ないフリをして逃げようとしていても、
本当の私が、真実と向き合い自分に誠実に生きたいからこそ起している。

無心になって相手の相談に乗りながら、
何度も何度も同じ言葉を連発したのは、自分自身に言い聞かせたいから・・

心の中の世界がこういう形で具現化しているという事実。

良く考えてみると、こんなのズーッと前から知っていたけど、
知らないフリ、見ないフリをしてきたことがはっきり腑に落ちてしまった。

はっきりと自覚してしまったということは、逃げないと決めたってこと。
何が現実で、何が内面なのかなんて、もうどっちでもいいや・・

内面と現実の世界の関係って。。。

『なんだ。。そういうことだったのか。。』

いまは、これしか言えないなぁ・・